Document#3.2 個人空間の『時間帯シェアリング』論
3.2.-1 私的時間と公共時間
27時間多時間群文明において、「時間」は均質に共有される前提資源ではない。 文明が提供するのは単一の時間軸ではなく、複数の位相が同時に成立し得る基盤である。 その上に構成員それぞれの活動、休息、沈黙、集中が重ねられる。
従来文明においては、同一の時刻を生きていることが、社会参加や関係維持の暗黙条件として機能してきた。 出勤時間、営業時間、応答可能時間といった規範は、生体状態や個別事情よりも優先され、規範からの逸脱はしばしば不適応として扱われた。
27時間多時間群文明はこの前提を採用しない。 時間帯の不一致は例外ではなく、文明の通常状態である。 したがって、時間帯の違いは調整対象ではあっても、矯正対象ではない。
私的時間とは、構成員が文明に対して応答義務を負わない位相帯である。 それは単なる「自由時間」ではなく、干渉されないことが制度的に認められた状態を指す。 文明は私的時間についても記録は必要な範囲で取得する。ただし、その内容、時間の使途、成果を文明として評価をしない。 留保すべきは、文明の資源の利用については、非ヒト知性を主たる調停役として調整がなされることである。
一方、公共時間とは、文明の継続と安全のために最低限の位相共有が求められる時間帯である。 しかしその範囲は意図的に狭く定義される。 公共時間は拡張されるものではなく、常に私的時間との緊張関係の中で再検討されるべき対象である。
「時間帯シェアリング」とは、同一の社会空間・物理空間・情報空間が、異なる時間帯の構成員によって重なり合って利用される状態を指す。 ここで共有されるのは空間と基盤であり、同時性や相互干渉は必須条件ではない。
この思想の中核は、「存在可能性」と「応答義務」を切り離す点にある。
ある構成員が同じ空間に存在し得ることと、他者に応答し、関係を維持し、即時に反応することは、同一ではない。
3.2.-2 人間関係への影響
時間帯シェアリングは、人間関係の形成・維持・解釈の前提を根本から変化させる。 従来文明において、同期性は関係性の信頼指標として機能してきた。 即時の応答、同時の経験、同じ時間を過ごすことが、親密さや誠実さの証と見なされていた。
27時間多時間群文明においては、同期性は数ある関係様式の一つに過ぎない。 関係は「同時にいること」ではなく、「異なる位相からでも再接続できること」によって定義される。
応答の遅延、不在、沈黙は、無関心や拒絶を意味しない。 それらは単に、相手が別の位相を生きているという事実の表れである。 文明はこの解釈を個人の寛容さに委ねず、構造として支えることを選択する。
親密性は即時性から解放され、履歴性、継続性、再訪可能性に基づいて形成される。 関係は一時的に重なり、その後離れ、再び重なることが前提となる。
この構造は、これまで時間的制約によって関係から排除されてきた構成員に対し、新たな参加の余地を提供する。 同時に、常時接続を前提とする関係性に対しては、再設計を促す。
文明は特定の関係モデルを理想化しない。常時同期する関係も、ほぼ非同期の関係も、どちらも等価に成立し得る。 重要なのは、いずれの関係も位相の差異によって不利益を被らないことである。
「時間帯シェアリング」は、孤立を防ぐための制度であると同時に、過剰な接続から個人を守るための思想でもある。 文明は関係を強制せず、断絶を罰しない。 その代わりに、再び関係を結び直すための余地を常に残す。